「私のマリア」東雲めめ子 〜超良質メリーバッドエンド-百合の間に挟まる奴はみんな死ね〜

小説

病めるときも補導されるときも、常に我がマリアとともに。

私のマリア 東雲めめ子 P248
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私のマリア (集英社オレンジ文庫) [ 東雲 めめ子 ]
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みなさまこんにちわ。

さて、世界は広いもの。そして、世には同姓同士の深い深い繋がりを、そばでそっと見守りたい、という嗜好の持ち主の方、いらっしゃいませんか。

はいここにいまーーす!!!!

そんな私を含む嗜好の持ち主にぴったりの小説、東雲めめ子「私のマリア」。

巷でよく言われていますよね、「百合の間に挟まる男は死刑」って。

そんな思いを深く再認識させてくれる小説です。

さあ、あらすじいきまーす!!

全寮制の名門女子校白蓉女学院で“白蓉のマリア”と謳われる女子高生・藤城泉子が失踪した。直後、泉子の実家で放火火災が起こり、犯人と目される大学生を15歳の少年が刺傷する。寮で同室だった鮎子は泉子を案じ、泉子の従兄の藤城薫と行方を追うのだが、薫は泉子が事件の黒幕だと言い出して……。異常なほど崇拝された美しい女子高生は、どこに、なぜ消えたのか。

この小説は、作者名とタイトル買いでした。

まずタイトル。「私のマリア」。

マリアといえばキリスト教でイエスの母である聖母マリアが真っ先に連想されるでしょう。けれども、マリアはイエスキリストの母でありながら、キリスト教徒の中でイエスキリスト並みに崇拝されています。要は、パブリックな存在なのです。

しかし、そんなパブリックな存在のマリアを「私の」とは。

一見丁寧ながら、なかなかの傲慢さを感じさせるではありませんか。嫌いではないですよそういう感情……!

作者名も素敵です。東雲、と言う言葉は夜明けの空が東方から徐々に明るんでゆく頃、と言う意味の古い日本語です。マリア、と言う西洋文化と東雲という日本の古語の組み合わせ。こういうの大好き。

早速ですが内容です。

一言で言うならば、青春ミステリー。地方にある修道院じみたカトリック系の女学校が舞台です。

語り手は、三科鮎子。長らく母子家庭でしたが、母の死をきっかけに舞台となる白蓉女学院に編入してきた高校一年の女の子でした。学校で崇拝レベルの人気を集める藤城泉子と寮で同室です。

ここで、みなさん、こう思うのではないでしょうか?

「なるほど。鮎子と泉子の百合なんだね?」

はい違います。鮎子は邪魔者です。

というか、この小説に出てくる登場人物のほとんどは、百合の中を邪魔する邪魔者です。

はっきり言います。この小説は、

「深く通じ合い仲を育む二人を無惨に踏み躙ろうとした周囲への復讐」

です。要は、メリーバッドエンド。

いやぁ、私あまり百合は嗜まず、詳しくないのですが、それにしたってここまで真摯にメリーバッドエンドを突き詰めて描いた作品は、なかなか珍しいのではないでしょうか?

お互いしか見えていない。あなたさえいればいい。

そんな、究極の二人だけのエゴイズム。しかし、最初に身勝手だったのは、彼女たちだったのでしょうか? それとも周囲だったのでしょうか?

鮎子も、また百合の間に挟まる身の程知らずの邪魔者に過ぎません。母親の死とそれに伴う両親の裏切り。傷ついた心の支えにするかのように完璧なマリアに近づこうと足掻く。

思いあう二人にとっては、鮎子もまた邪魔者。一歩間違えば、鮎子もまた、ただでは済まなかったはずです。

色々と興味深いキャラクターは多くいますが、特に興味深かったのは、泉子の従兄である藤城薫ですね。

泉子と兄妹のように過ごし、本人も名門高校に通い、イケメンでハイスペックで家は金持ち。はいいけすかない。

あらすじにもある通り、鮎子は薫と協力して泉子について調べていきます。

そして、物語の終盤。鮎子と薫は葬列を見送り、今後のことを話します。

薫はただ一言。「ほうっておくしかない」

そして、「真っ当な手段だけを使って、絶対に壊れない成功を手に入れる」と誓います。

その場で聞いた鮎子は「薫は泉子から自由になった」と解釈しました。

しかし、本当にそうでしょうか?

薫はイケメンでハイスペです。彼ならば、おそらく理想の成功を手にするかもしれません。

しかし、それは第二のマリアになることではないでしょうか?

そもそも、彼は泉子と完全に決別するしか、今後生きていくことができないからそう言っただけではないでしょうか?

作中で、薫は家と家族を失い、弟は殺人未遂犯として後ろ指で刺される立場となりました。しかし、それは彼を含む家族の行いが巡り巡ってそのような結末になりました。

薫は、作中泉子に対して謝罪の言葉はありません。しかし、おそらく泉子に感情のまま全てをぶつけられたら、謝れる人間ではないかと思います。

しかし、泉子はもう彼の元からいなくなり、彼の事を瞳に映しません。故に、彼は泉子自身に責めることも謝ることもできません。

そもそも、泉子がああなったのは、泉子の生育環境が大いに影響しています。その生育環境の中、人知れず苦しんでいた泉子とその環境に適応してしまっていた薫は、通じ合える存在ではありません。

泉子という存在は、薫にとって今までの育ちや考えを全て否定しうる存在です。故に、彼はもう泉子に手出しはできません。

泉子に謝ることができれば、また薫は違う道を歩めたのかも知れませんが、泉子はもう薫を見ないのですから、彼は泉子という存在全てから目を背けるしかなくなりました。

彼は、最後に宣言した通りにきっと生きるでしょう。

彼が背負った苦労すら、糧として真っ当に、理想的に生きるでしょう。

しかし、その生き方とは、泉子が散々苦しんだ「聖少女」の姿ではないでしょうか?

自分の本心に目を背け、周囲の期待の通りに生きる生き方ではないでしょうか?

聖少女の葬列を目撃した彼は、また聖少女と同じ道を歩むしかなくなったのではないでしょうか?

聖少女には、悪魔がただひたすら寄り添いました。

しかし、彼には誰が寄り添うのでしょうか。

彼に寄り添うのは鮎子ではないでしょう。鮎子は母の写し身として泉子を見ていましたから、本当に母と向き合うことができれば違う道に進める人間です。

それに、彼女は言いました。「薫さんなら、できちゃいますね」と。

ここで彼女が薫の今後生きようとする生き方が泉子が苦しんだ道と同じと気がつくことができれば違う言い方があったでしょう。しかし、彼女は薫の背中を押しました。

人と人は分かり合えず。

人は他人に自分の理想を見出す。

終始、それを体現したコンビだったと思います。鮎子と薫は。

一個人に理想を投影するエゴイズムの残酷さを描いた青春ミステリー。

ちょっと文体が装飾的で読みづらい箇所もありますが、最後まで読めば、「百合に挟まるやつは死刑にすべし」の感覚が大いにわかると思いますのでおすすめです!

また、作者の東雲めめ子さんは今作がデビュー作のようなので、今後も追っていきたい作者ですね。楽しみです!

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