女性たちはなんでも男性を基準に考える事をやめなくてはいけない。
トランスジェンダーになりたい少女たち アビゲイル・シュライアー p306
多くの国で言論の自由が保障された2020年代で、ここまで論争の火種となった本が他にあるだろうか。
例えばこの本が最初に出版されたアメリカでは、活動家が出版に抗議活動を行い、実際になんとアメリカ書店協会がこの本の宣伝を謝罪し、販売しなくなったというのだ。しかし、Amazonは逞しいのかなんなのかこの本を出版する事を決めたが、そこにも色々な騒動があったらしい。詳しくは
に詳しく書いてあるので興味がある方はそこを参照していただきたい。アメリカの例なくとも、日本だってこの本は当初KADOKAWAから出版される筈だったが、批判を受けてKADOKAWAでの出版は取りやめになり、結局産経新聞出版からこの本は刊行された。
刊行前に日本で主に議論されていたのはジェンダー問題というよりは、表現の自由の問題のようだったと思う。SNSでは実店舗で購入できず、書店にあっても店員に言わなければ出してもらえなかった、という嘘か真か分からない体験もSNS上で拡散されている。しかし、時間が過ぎたお陰か、書店側も「この本を普通の販売していても、別に困った事にはならない」と理解してくれたらしい。私がこの本を購入したのは、実店舗だった。
割と目立つ場所に堂々と平積みされていて私は簡単にこの本を手に取る事ができた。私が住む場所は東京ではなく地方ではあるが、コソコソする必要もなくこの本をレジに持っていき、店員は普通に接客をして私は無事にこの本を手に入れた。
元々、SNS上でアメリカでは安易な性別移転処置が行われている、という話は聞いていた。身も心も女性である私だが、元々生まれ持った性を後天的に変えるなんてとても大変で努力と辛抱がいる事なのは分かる。それに、色々と性別を変える為の手術もある事は知っているが、一度そうしてしまうと後戻りができない事も知っている。私にもし子供ができて、その子供が生まれ持った性に違和感を持っていたら、せめて未成年であるうちは服装はともかく未成年のうちに外科的な、医療的な処置を受けるのは思いとどまるように強く説得する事だろう。自分らしく幸福に生きる為の処置が、結局一生抱えるハンディの原因になったら、と考えると、どうしたって慎重になってほしいとまともな親なら願うだろう。この本に出てくる親は、そんな親ばかりだ。
本著の前半部、産婦人科医かつ公衆衛生研究者である女性が今までなかった現象、すなわち「突如トランスジェンダーだと主張したティーンエイジャーの女の子の数が爆発的に増えている」という事に関して論文を発表した結果、その女性研究者は職を追われる事態になったというエピソードが書いてある。
それは彼女の例だけでなく、他にも多くの科学的検知でトランスジェンダーについて語った人間がジェンダー活動家から攻撃され、職を辞める事態になったもまたいくつか掲載されている。
正直、私は日本に生まれてよかった、と思うしかない。私はたまたま日本で生まれ育ったおかげで、この本で紹介されている少女のようにならなかったのだと強く思う。それだけ、この本で紹介されている少女たちの気持ちは、普遍性がある。
男性はどうか分からないが、女性ならば思春期のある日、いきなり死にたくなるほどの精神の落ち込みを経験した事が誰にでもあるのではないか?
なぜ、と言われても答えようがない。別に学校でいじめられた訳でもないし、成績が落ちてどうしようもない、という状況でもない。友達はそこそこいる。趣味もある。けれども、いきなり死にたくなる。
しかし、それも長続きはしない。少し時間を置けば、その「死にたい」と言う感情は嘘のように消えて、私は普通になっている。テレビを見てお笑いで笑い、ご飯も普通に食べられて朝になれば普通に学校に向かう。昨夜の落ち込みはなんだったのか。自分でも訳がわからない。
それに、急激な体の変化だって戸惑う。
私には姉妹がいて、男は父と犬しかいない家庭で育った。家族であれば体つきも似通ったところも多い。私はそれにだいぶ助けられてきた、と本著を読んで思う。他の同級生と比べて胸の発達が早い気がする。嫌だ、女っていうか、動物的なメスになっていくようで、知性のない生き物になっていくようでとても嫌だ。そんな複雑な感情を「分かる」と共感して肯定してくれた姉妹の存在は、体の変化に戸惑っていた思春期にとって、どれだけ救いか。
この本に紹介されていたアメリカのティーンエイジャーには、私にとって姉妹のような存在がいたのかと、私は心配せずにはいられない。
正直、単純な確率の問題で、本著で紹介されていた少女たちがトランスジェンダーである確率は非常に低いと思う。
LGBTQの割合自体が日本では約10%であり、その中で、トランスジェンダーの割合は0.7%という。
トランスジェンダーは、先天的な脳の遺伝子によって生じるものらしい。しかし、そのような事はそう頻繁に起こる物ではないだろう。仮に100年後にトランスジェンダーの割合について調べたら、恐らく現代の調査とそう変わらない数値が出るのではないか。
残酷な話、トランスジェンダーがマイノリティ側である事は、人類が男と女で構成されている以上、人類が滅ぶまで変わらない話なのだと思う。
しかし、なぜ少女たちはあえてマイノリティ側に行きたがるのか。
それは本著にも似たような事が書いてあるが、うつろいやすく未発達な自我を、他人との関わりで埋めているからだと思う。
思春期の女の子のメンタルはだれだって不安定である。しかも、ただでさえ女の子は幼い頃から周囲と関わって過ごす子が多く、自然とその中で比較してしまうし、仮に集団にうまく馴染めなかったらこの世の終わりかと思うほど落ち込む。もうこれは女性の本能というか、最初から組み入れられている機能なのだと思うしかない。
本著で紹介されている女の子には、共通項がある。
「幼い頃は女の子である事に疑問を持たず、女の子らしい遊びに夢中になっていたが、思春期になって人付き合いがうまくいかなくなった」
どうして私は、他の女の子とうまくかかわれないんだろう。
彼女たちの同じような事に夢中になれないのだろう。
私って、普通の女の子じゃない?
ていういか、女の子ですらなかった?
少なくとも、私が身内にそんな事を言っていたら「馬鹿言うな」と言われいていただろう。そして幼少期の頃からの女の子らしさを象徴する私自身のエピソードを山ほど聞かされていただろう。そして、最後の締めに呆れられながらこう言われていただろう。
「女の子がどうとか問題じゃなく、あなたがただただ個性的なだけ」
私も、身内の立場ならば同じ事を言っている。
トランスジェンダーを自称するようになった少女たちは、アメリカの白人中流家庭の子が多いと言う。
特別貧しい訳ではないが、テレビで見るセレブほど恵まれていない。両親は愛してくれているし子供のために一生懸命だ。けれども、それだけで一生は生きてはいけない。恵まれているのかいないのか分からない宙ぶらりん状態である。いや客観的に見たら確かに恵まれているのだけど、心から満足かと言われるとなんか違う。
そんな中も外も宙ぶらりん状態の他人とうまく関われない個性的な子に、分かり易い道標、すなわちアイデンティティが、トランスジェンダーの称号なのではないか。
トランスジェンダーになれば、自分の人とは違う個性もあっという間に周囲に受け入れられて賞賛され承認される。承認欲求は大人ですら人生を狂わす麻薬に等しい。まだ年若く人目を過剰に気にする年頃の少女たちなんて赤子の手を捻るようなものだろう。
本著の最後、紹介されていた少女たちと親たちのその後が載っている。どの女の子も、男になろうとした結果幸福そうに暮らしているかと言われると疑問付がつく。そして、女の子の親は、それでも娘に寄り添おうと悪戦苦闘している現在が掲載されていた。狭いコミュニティの中の承認の為だけに、SNSで持て囃されるトランスジェンダーインフルエンサーに影響されて安易に性別を変えようとした少女たちの中には、狭いトランスジェンダーコミュニティで受け入れられたようには現実の社会で受け入れられず、仕事を見つけられない元少女もいた。その子がトランスジェンダーになるのを反対した父親は、娘の為に職探しを助けているという。
手軽に何者かになろうとして、トランスジェンダーを名乗り、実際に外科的処置やホルモン治療に手を出したリスクは大きい。本著には、性別を変える方法とそのリスクは非常に詳しく書いてある。
空っぽで宙ぶらりんな少女が何者にかになって、生き生きと人生を歩むはずだったのに、そこにはとんでもない代償が隠されていて、誰も未成年の彼女らに教えようとしなかった。その結果、人生を損なう事があれば、悲劇としか言いようがない。
この本に紹介されていた少女たちは、決して特別な少女たちとは私は思えない。
日本にもたくさんいるような、ありふれた少女たちだ。
そんなありふれた少女たちが、手軽に名乗れるトランスジェンダー、という虚像のアイデンティティでなく、本当の自分らしさを手にして、健康な体を損なう事がなければどんなに幸福だったか。
私は、そんなことを思わざる得ない。
思春期の少女たちとその親に是非とも読んでもらいたい、考えさせられる名著である
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